福岡県の方と個人売買した時に、物々交換で入手したものです。 最中は、当たり外れが大きいので、この最中はどっちなのかワクワクです。 おおっ、なんか高級そうな包装紙にくるまれている。 この黒い包装紙が、いやがうえでも期待を持たせてくれます。 さらに箱を開けていきます。 これこれ、このパッケージ。 これは、高物のお菓子に多いのよね。 こういうパッケージが丁寧なのは、中身も美味いというものです。 では、パクッと、.. うまい。うまい。.. あまりしつこくないこの甘さ そして、あんがたんまりとパンパンに入ってます。 やっぱり、最中はこうでないと.. 特に、私は「うぐいすあん」のやつが気に入りました |
(包装紙のマーク) |
<パッケージに書いてあったことをそのまま転載しています> 「筑前芦屋釜」について わが国に茶の湯が始まって以来、茶をたしなむ多くの人達の問で待に珍重されできた茶の湯釜「筑前芦屋釜」は、独特の鋳造技術によって遠く鎌倉時代から約四百年にわたって、この芦屋の地で作られたものでございます。 「筑前名産考」という古書には「昔芦屋には鋳物師の良工あり。元祖は元朝より帰化して土手なりしかば、菊桐の御紋の釜を鋳て禁中(朝廷)に奉り山鹿左近掾と称せらる」とあります。 「筑前芦屋釜」の鋳造が最も盛んであったのは室町時代の中頃で、将軍是利義政は上佐派の巨匠光信に釜の下図を描かせ、また画僧の雪舟や狩野派の画家たちも筆をとったといわれます。 その芦屋釜の鋳造が徳川三代将軍家光の時代に全く消滅してしまったというのは不思議に思われますが、これには諸説があって、釜煎りの刑に使用した釜を鋳たために、鋳物師座がお取りつぶしになったというのもその一説であります。また有力な庇護者であった戦国大名大内氏の滅亡が大きな痛手であったともいわれおります。 芦屋での鋳造が絶えて三百年以上の歳口が流れた今日では、残存している茶釜の数は極めて少なく、古美術品としての価値は高まるばかりで、国の重要文化財に指定されているものも幾つかございます。 現在芦屋町の歴史民俗資料館には、鎌倉時代の名僧明恵上人が自筆の十徳の旬を、芦屋の工人に鋳させられたと伝えられる名物釜「茶の十徳釜」が収蔵されております。 |
(有)あしや釜本舗 福岡県芦屋町中ノ浜9−17 電話 093−223−0115 |
(株)ハチハチ化学 福岡県北九州市八幡西区則松 電話 0120-088-288 |
このメーカに解けてなくなる袋で作ってもらうことに期待!! とのご指摘をいただきましたので、早速(遅かったでしょうか?)メール差し上げます。 ご紹介の洗剤は、ポリエチレンとポリエステルの混紡でできた不織布に、 天然の超濃縮洗剤を1回分(4-5キロの洗濯物)入れています。 開発段階では袋を溶かすようにしたのですが、 @水に濡れると袋が破れて、中身の洗剤がこぼれる。(濡れた手で触ると破れる。湿気の多いところに置けない等) A袋の材質が糊剤になるので、溶けた糊が衣類に付いて硬くなる恐れがある。(溶けた袋が汚れになります。) 上記の理由により、逆に手でも破れないようにしました。 洗濯後にわざわざ袋を取り出さずに、脱水後、干すときに袋がポロっと落ちます。(残ります。) 空になった袋を、捨ててください。溶かし込むより、もったいないようですが、環境にも、汚れ落ちにも 良い結果となります。 |